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蘭日記:新芽??
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    久しぶりの蘭日記です。
    ブログって色々と書く内容が制限されるので難しい、と思ってしばらくはFBとツイッターだけにしていましたが、物足りない…。もっと長文を書きたい…。と欲求不満が溜まり、また再開します。

    そのうち新しいブログに変えようと思います。

    今年の2月に世界らん展で購入したミディ胡蝶蘭ですが、3鉢とも元気です。
    蕾もすべて開花し、美しい花を限界まで長期間咲かせてくれた後に花は落ちました。

    その後、GW後に一回り大きな鉢に植え替えて、暫くしたら3鉢とも一枚ずつ新しい葉が生えてきました。

    今日、根元を見たらこんなものが。新芽???と思って調べたところ、この色は新しい根っこらしいです。
    新芽は、秋から冬にかけて、18度くらいの温度が2週間程度続くと出るそうです。まだ早いですね。

    新しい葉が出てきたとき、それはもう綺麗な緑色でした。

    瑞々しくて、ピンと張りがあって、透明感もあって、生命力にあふれていました。
    一方、その下にある古い葉は、色も褪せ、張りも無くしなだれていて、生命力は感じられません。

    人間と比較してしまいました。
    私ももう人生折り返し地点と一般的には言われる年齢。
    自分自身の衰えを感じています。

    一言でいうと、心身ともに、張りが無くなってきたと感じます。

    蘭の古い葉は、下の方からだんだん干からびてきて、土に還ります。(鉢植えの場合は水苔なので土ではありませんが。)

    その株の栄養になって、新しい花を咲かせます。

    では人間は?子供を育てて、孫を育てて、その血筋を発展させていくわけですが、子供のいない大人はどうするのが自然なのだろうか。と新しい葉を見ていて思いました。

    人間は色々な生き方が出来ますので、子供がいなくても一人でも人生を楽しむことが出来ます。それが悪い事だとは現代では思われません。

    でも、生物として本能的に満たされるには、次世代への貢献をする事しか無いのではないかと少し感じます。

    例えば、親のいない子供を引き取ったり、寄付したり、未来へ向けて環境を整えたり。

    私自信、まだそういう事をしたいと思っている訳ではないのですが、人間も生物で、存在する目的自体は他の生物と変わらないはずです。

    これを忘れることが、人間の不幸の根っこなのではないかと感じる今日この頃です。
    | Art | 23:50 | comments(0) | - | pookmark |
    蘭日記:写真
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      今日はデジカメで写真を撮りました。
      中型の蘭が7つ咲いている写真。

      中型の蘭です。花びらに模様があります。血管の様な…。


      ブチです。この模様はどうやったら出来るのでしょうか。不思議です。

      中型もぶちも元気ですが、小型の胡蝶蘭はすべて花が落ちてしまいました。
      茎から小さい水滴が出ているのですが、これは何を意味するのでしょうか。
      茎を切った方が良いのかと思いましたが、茎から水分が出ているので、もしかしたらまだ蕾を付ける可能性があるかも?と、ちょっとそのままにしています。

      5月くらい、花が全部落ちたら新しい鉢に植え替えるつもりです。
      | Art | 23:04 | comments(0) | - | pookmark |
      蘭日記:花の終わり/ハープ日記:ハープと座禅
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        今日も昼間に写真を撮りまくりました。

        ぶちは5つの花が満開。うちに来てから2つの蕾が咲きました。
        中型は、6つの花が満開。うちに来てから確か2つの蕾が咲きました。
        あとふたつ蕾がついていて、一つは今日から開き始めました。
        やっぱり春だから花は咲くんですね。
        そして、小型の可愛い蘭は、うちに来てから一番最初に蕾が咲きましたが、どんどん花が落ち今は3つ。もうしおれかけています。
        悲しい姿ですが、これも胡蝶蘭の一生。
        パールのようにきらきらしていた花びらに、血管が透けるように葉脈(?)が透けて見えるようになります。花びらの肉が無くなってしまっているからでしょうか。

        生き物が身近にいると、元気さや可愛らしさや美しさなど、いじらしい生命力に様々な感動や影響をうけますが、悲しいのは終わりを見なければならない事です。

        でも、きれいな時ばかりを見ている訳にはいかず、弱った時には世話をして、美しかったものが枯れてしまう様もちゃんと見届けなければなりません。

        動物も、植物も一緒だと思いました。

        世のなかは、生き物の良い部分だけを見せる傾向があります。昔ブログに、年老いたり病気になったりして動物園で世話しきれなくなった動物たちだけを引き取って、個人で動物園を運営している方の話を書いたことがあります。「生き物が死ぬところも含めて、子供たちに見て欲しい」と、運営者は言っていました。

        何度も書く言葉ですが、獣医師の野村潤一郎さんの言葉「生き物を飼う事は、自分の命を削って与える事である」という言葉は、植物にも言えることだと思います。

        生き物ですから。
        大事にお世話します。

        そして今日はハープのレッスン。
        もう楽しくて楽しくて仕方ありません。他に辛い事があるせいでしょうか。

        ハープは座禅と似ていると思いました。

        座禅は、もう座禅会がなくなってしまったので今は行っていませんが、とにかく無心になるべく気持ちを落ち着かせ、集中させることが必要。邪念、雑念は邪魔ものです。雑念はそうそう取り払えないのですが。

        ハープも、心を落ち着かせて集中しないと、弾いている途中で邪念、雑念が入り、邪魔になります。

        雑念が入ると、ハープにも申し訳ない様な気持ちになります。
        ハープにも敬意を表して、弾く時は集中して弾かないと。

        一度だけ、とても集中出来たことがあって、その時は自分としては上出来!と思う様に弾けました(自分基準なので、へたくそですけど。)。あの時は、ハープとの一体感を感じたような気がします。ハープの音が、自分だった、と言うか。音に乗り移れたというか。というと怖いですが…。なんとなく、音で自分が表現できた気がしました。ほんとにへたくそなレベルですけどね。

        生き物ではありませんが、ハープを生きているように操るのも、弾いている人次第、だと思います。私はまだまだその域に達するどころか、間違えないようにするので精いっぱいなレベルですが。

        ピアニストの友人は「如何にピアノを歌わせるか」を考えながら弾くと言っていました。

        最近はYouTubeで、松岡みやびさんというハーピストの方のカノンの演奏を毎晩のように見ているのですが、とにかく美しいです。音も美しいのですが、弾いている姿が美しいんです。この映像を見ると、この方は、ハープと一体化しているなあ、と感じます。

        ところで先日、お教室の発表会を見学に行ったのですが、とても面白かったのです。
        お子様からお年寄りまで。習いたての方からハープ歴の長いとてもお上手な方まで、幅広い演奏を聴けました。そこで心に決めたのが、2年後くらいでに発表会に出てみよう、という事です。一年ではとてもとても無理!と思います。それまでしっかり練習を重ね、うまくなりたいものです。

        ドビュッシーのアラベスクなんか弾けるようになったらほんとにもっともっと楽しくなるだろうなあ。3年後くらいには弾けたらいいなあ、と思いますが、そんなに甘いものではないけも…。5年かな…。目標が出来ると練習にも気合が入ります。

        今週、家で練習しているときも、どうも右手の人差し指が立ってしまう癖が気になり、今日は右手の人差し指がたたない工夫を教わりました。あくまでも私の場合、ということのようです。

        掌を少し弦から離す感じにして、響板につける手の内側の位置を、少し手首よりにする、というフォームです。

        ハープは、右肩に乗せて、右の腕の内側は、響板(弦が出ている平らな部分)にくっつけて弾きます。左手は遠くの弦を弾くので響板につけません。

        その、響板につける手の内側の位置を変えるだけでまた弾きやすくなります。

        全て基本だなあ、とつくづく感じます。

        あと、指を早く回すコツ。とにかくしっかりと弦をはじいた後に掌につける事です。その方が指が早く動くそうです。急がば回れ、みたいな。

        全て地道な努力の積み重ね。早道は無い。人生と同じです。
        | Art | 22:56 | comments(0) | - | pookmark |
        蘭日記:昼間の写真
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          今日の昼間は凄かったですね!黄砂だかなんだか、茶色い空気なんて初めて見ました。
          ピークの時に外出していて、砂(?)が目に入り歩けなかったです。 

          咲きかけている蕾の裏側です。こんな風に裏側から開いてきます。

          これも。

          これは表側。

          昼間写真を撮ったらちょっときれいに取れました。
          実物はもっときれいです。
          きらきらしていて。


          これは中型の蘭です。

          これは咲きかけのぶち。

          これは小型の蘭。

          花が咲くと、運が開くような気分になります。
          蘭の花言葉は「幸せが飛んでくる」だし。

          | Art | 22:01 | comments(2) | - | pookmark |
          蘭日記:春一番なので蘭も咲いた
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            今日は暖かかったです。春の陽気でした。湿気はありましたけど。
            春一番だったそうですね。

            そんな春の陽気に誘われたのか、うちの蘭たちも続々と蕾が開いてきました。

            この小さいピンクの胡蝶蘭は今日は完全に咲き切りました。

            昨日までほんの少し外側が開きかけていた中型のピンクの胡蝶蘭。
            今日一日でだいぶ開きました。

            今朝まで開く気配もなかったぶち胡蝶蘭。今日一日で急激に開きだしました。

            やっぱり春なんですね。

            昨日まで「もしかした中型とぶちは咲かずに枯れてしまうかも?」と心配していたのですが、今日のこの暖かさで急激に咲き始めるとは、やはり植物は気温と湿度なんですね。

            生きてるんだなあ、と実感します。

            それにしても、夢にまで見た、蘭の花を好きなだけ観察できる日々。

            とても不思議な花です。
            斜め横から見ると、こんな、なまずの髭の様なものが先端についていたりします。先がちゃんとカールされています。

            これはよくアラーキーの写真なんかで見る角度。
            怪しく色っぽく美しいです。
            なんでこんな色形をしているのか。

            この色形にも意味があるようなのですが、まだまだ勉強途中なのでおいおいまとめます。

            やっと休み。心底嬉しい。
            | Art | 23:44 | comments(0) | - | pookmark |
            蘭日記:咲きそう
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              土曜日に蘭展の会場から我が家に引っ越してきた蘭ですが、うち2鉢はつぼみが開きかけています。

              これは初日。真ん中の花の右横の蕾です。

              これは昨日の蕾。

              これは今日の蕾。もうすぐ咲きそうです。

              もうひとつの中くらいのピンクもひとつ咲きそうな蕾が。

              なんだか、初めて家に来た子猫が、なかなかなつかず落ち着かず、数日たってやっとお腹を出した姿て寝るようになった様な感覚です。

              うちで安心していいと蘭が認めてくれたような。安心してくれたような。

              家に来た途端いきなり枯れてしまったら悲しいな~と思っていたので、とても嬉しく、咲くのが楽しみです。

              植物の成長を見る喜びのほんの一部を感じる事が出来た気がします。
              | Art | 23:19 | comments(0) | - | pookmark |
              蘭日記:らんはじめ
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                土曜日は毎年恒例の世界らん展日本大賞2013に行きました。

                毎年友人と一緒に行っていますが、今年はいつもとは違う私。

                どうもハープを習い始めてから喜ばしい事にマニアっ気が蘇ってきたようで、好きな事を追及する事が楽しくて仕方ない日々。事前の蘭研究により蘭への探究心がむくむくと湧いてきました。

                ハープもお能も「興味はあるのでいつかちゃんと習いたい/勉強して見たい」と長年思いながらなかなか実行に移せなかったものですが、去年の終わりから今年にかけてたまたますんなり楽しくはまるきっかけが。

                蘭も長年「いつかじっくり蘭研究をしたい」と思いつつ、本を買うにとどまっていたのですが今回は気持ちが乗っています。蘭の夢まで見るほど。

                今はもうプライベートの時間が足りないくらいなので、これ以上手がかかるものを抱えてどうする、と思いつつも、気持ちが乗っているならばこれはもう気持ちの波に乗らなければ!と思い、蘭の世界に浸りまくって蘭展を迎えました。

                「今年こそは鉢植えを買う気がする…」と予想していたら、前日までにすっかりその気になり、「初心者でも大丈夫!」というミディ胡蝶蘭を3鉢買いました。

                これ。とっても可愛くて綺麗です。

                これはミニサイズの淡いピンク。

                これは少し大きめのピンク。

                これはまだら…。可愛いです。

                蘭には物凄くたくさんの種類がありますが、胡蝶蘭はファレノプシスという種類です。
                育てやすいのはカトレアやデンドロビウムやシンビジウム等らしいですが、私はやっぱり一番興味があるのが胡蝶蘭。あの優雅で不思議な形と吸い込まるような色を見ていると、時間を忘れるほどです。

                胡蝶蘭は寒さに弱いのでちょっと難易度は高い様ですが、きっと大丈夫。と信じ切って、これから大事に育てたいと思います。

                好きなものに囲まれて、好きな事をしていれば、好きなものがたくさん寄ってくるはず。
                | Art | 22:49 | comments(0) | - | pookmark |
                能:「高砂」「源氏供養」
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                  今日はお能を見に行きました。

                  年明けに見に行った観世宗家展で流れていたお囃子の響きに懐かしさを感じた時に、お能に興味を持つ母方の遺伝子が目覚めてしまったようです。

                  母に聞いたところ、曽祖父母がもともと謡曲好きで、祖父も若いころからお能をやっていたそうな。母方の地元にいる親族は、だいたい皆お謡いやお仕舞をやっていました。

                  松濤の観世能楽堂に行ったのはたぶん25年とか30年ぶりくらい。
                  古い施設ですが、改築しているのか快適です。

                  「高砂」は結婚式などで親戚のおじい様なんかが「たかさごや〜」と祝いの謡曲を披露したりするアレです。

                  母に謡曲教本を借りて、謡を見ながら追っていたら、事前勉強の成果もありとても楽しめました。

                  何よりも、私にはお囃子と謡と舞が、懐かしい祖父母を思い出させるのでとても心地よいのです。雰囲気を味わうだけで落ち着きます。

                  「高砂」は老夫婦の仲睦まじい様子を描いたおめでたい能の代表作だそうですが、後半の住吉の神の舞がとても凛々しく威厳に満ちていて、圧倒されました。

                  軽薄な言い方をすれば、めちゃくちゃかっこ良かったです。

                  本当に圧倒されて、息も出来ないほどでした。「飲まれる」とはこういうことでしょうか。

                  家にあったお能の古い本に、「能は呪術的な部分もあり、シテが面を付けると自ら自己催眠にかかり、ハヤシのリズムで見ている観客をトランス状態に引き込む側面もある」というような事を書いてありましたが、それを実感した気がします。

                  極限の静の動作から急激に激しいお囃子のリズムに合わせた華やかな舞。惹きこまれないわけがありません。本当に凄かった…。

                  「源氏供養」は美しいですがゆったりした曲なので、ちょっと寝ました…。耐え切れず。

                  能ドットコム」という、とてもわかりやすくお能の事をまとめてあるサイトがあるのですが、このサイトの「高砂」のあらすじに、とても良い言葉がありました。

                  老夫婦の「もうこんなに年を重ねてきた」という説明の部分なのですが、

                  「そのような寂しい暮らしの中、風雅な心を友として、和歌に思いを述べる日々を過ごすのである。」

                  「風雅な心を友として」

                  この言葉に感動しました。凄い。こうやって年を取りたいとしみじみ感じた能鑑賞の休日でした。

                  4月と6月に石橋と道成寺があるので、チケットを何としても取りたいです。

                  今日もお能のDVDを見て寝ようと思います。
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                  | Art | 23:39 | comments(0) | - | pookmark |
                  「万媚」
                  0
                    能の勉強にはまっています。

                    家にある能に関する本を読み漁り、毎晩DVDを見て、葵の上や道成寺や石橋などの舞と謡と囃子の何とも言えない迫力とかっこよさに夜な夜な感動してます。

                    生でこの感動を早く味わいたくなり、26日の東京観世会の「高砂」「源氏供養」@観世能楽堂の席を予約してしまいました。

                    4月には「道成寺」、6月には、祖父が舞った「山姥」もあります。これも行きたい。

                    能は、雰囲気としては子供のころから馴染みがあるとはいえ、知識としてはほとんど無く、今回勉強して始めて伝統と奥の深さを感じます。

                    ただの芸能ではなく、日本人の心が詰まっている、宗教儀式と近い神聖なもののようです。堅苦しいイメージもありましたが、ひとつひとつの意味を知れば、形を大切にする事でこの美しさを守ってきたという事が理解できます。

                    能の本を読んでいたところ、能面の種類に「万媚」という面があることを知りました。女性の面である「小面」の種類なのだそうですが、「万媚」とは「千の媚にも勝る」という意味で、男性を虜にする表情を持つ面の事だそうです。

                    知性の中にも艶やかな媚びを表現するそうな。

                    色々な「万媚」の面の画像を見てみると、確かに清楚な中にも艶っぽさがあるように感じられます。

                    表情って、大げさなものではなく、逆にほんの少しの目の動きや口の動きの方が、ずっと「どきっ」とすることがあります。秘めたものが伝わるからでしょうか。

                    ほんの少しの表情や言葉に丁寧に気持ちを込めたいなあ、と感じます。

                    | Art | 00:17 | comments(0) | - | pookmark |
                    観世宗家展@松屋銀座
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                      長かった休暇もあと二日で終わり…。今日は今年最初のハープレッスンの後に「観世宗家展」@松屋銀座を見てきました。

                      能は祖父が先生をしていたため、小さい頃から母に連れられ、色々な能舞台を見に行った記憶があります。

                      覚えているのは父が見ながら居眠りしていた事と、道成寺。釣鐘の中に人が消えてしまい、中から恐ろしい大蛇が出てくる怖い場面の記憶が鮮明にあります。

                      後は、祖父と祖母のお稽古を見ていた記憶。謡と鼓を聴くと祖母の姿を、能独特の足の運びと扇の使い方を見ると祖父の姿を思い出します。

                      おじいちゃんおばあちゃん、かっこよかったなあ。

                      大人になってからは「ちゃんと勉強してから良い演目を見に行きたい」と思いつつ、なかなか機会が無くて行っていませんでした。

                      この展示会は本当にハープ教室の真ん前なのでついでに寄った程度なのですが、思いがけず「見てよかった」展示会でした。

                      展示では装束、扇等の色鮮やかで美しい品の展示に加え、能面、風姿花伝の現物や映像など、見ごたえのある内容が展示されています。

                      風姿花伝は、渡辺淳一の「秘すれば花」を読んだことはありますが、ちゃんとした風姿花伝は読んでいません。この機会にちゃんと読んでみたいと思います。

                      世阿弥の「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。」は好きな言葉です。あけっぷろげな自分を反省し、「秘すれば花」の言葉を心にとめて生活しているつもりですが、なかなか身に着けるのは難しいのですが…。ですが、こと恋愛に関しては特に、年と共に「秘すれば花」が大切になってくると感じています。

                      物事を突き詰めると「秘する」という選択肢が最適になり、それが結果として「花」となる。という事でしょうか。

                      展示会の中で観世清和氏は「能は鎮魂の芸術、レクイエムと言われています」と話されていました。世阿弥の優しい心根から、静かなる鎮魂の舞が出来上がっていると。

                      これについては演目を見て勉強すればその意味も理解できるのだろうと思いますが、能からは、静から生まれる迫力を感じます。

                      能面を見ても、感情を感じられない無表情な能面から、微妙な角度によって怒り、悲しみ、喜び等の表情を感じ取ることが出来るという、静の方が動よりも強く深いものを秘めているのだという事を感じます。これは多くの能面の展示を見ると、もっと何か、うまく言えませんが奥深くに感じるものがあります。

                      ちなみに私は昔から、周囲の大人から「能面のようなお顔」と言われて育ってきました。大人は悪口のつもりはないのでしょうけど、目のくりっとしたお人形さんの様な顔に憧れる子供としては、幼心にどれだけ傷がついたことか…。

                      今となっては「浮世絵」と言われようが「能面」と言われようが良いのですが、そんな私なので、能面は他人とは思えません。表情も能面に近いと思いますし…。

                      話がそれましたが、まだ不勉強なので語りは出来ませんが、能は静かな美です。まさに鎮魂の芸術。

                      観世流の本の中に「能に付き合うには、京都の龍安寺の石だけの庭と対話するつもりが必要」と書いてあります。

                      また「秘するところかなにごともあらわにして羞じぬ現代、待つ時間のないインスタントの時代。刺激のみ追い求めて人間の魅力はどう変容するのでしょうか。」との疑問も。

                      表現を惜しみ、隠すことでより美しいものを伝えるのが能だそうです。

                      「静」や「秘める」等、現代人が忘れつつある、日本人としての美しさが詰まっている芸術なのではないでしょうか。その動きも音も理論も。と感じます。

                      もっと勉強してから詳しく書きます!

                      まずは詳しい母と何か見に行きたいと思います。
                      | Art | 22:49 | comments(0) | - | pookmark |
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