2013.02.25 Monday
佐村河内守作曲:交響曲第1番HIROSHIMA@芸術劇場

昨日聴いてきました。
佐村河内守作曲、交響曲第一番HIROSHIMA、全曲演奏会@芸術劇場。
私が今まで聴いた中で、一番観客のスタンディングオベーションが多く、感動的だった音楽界は、震災直後のチョン・ミョンフン指揮チェコフィルの演奏会でした。
今回は、それを上回る盛り上がり様でした。びっくりした。クラシックコンサートでここまで観客が盛り上がるなんて。泣いている方も多くいらっしゃいました。
聴いていた人それぞれ、いろんな思いを抱えているのではないだろうか、と感じた夜でした。
こんなに苦しい想いで聴いた曲は初めてでした。
そもそも、去年の終わり、突発性難聴の再発で左耳の聴力が落ち、どんどん「聴こえなくなる事」に不安を抱えて焦っていた頃、新聞でこの作曲家と交響曲の事を知りました。
「被爆2世であり全聾の作曲家による交響曲HIROSHIMA」
すぐにcdを購入し、コンサートのチケットを購入しました。
難聴になってからは、耳に負担をかけないように後方の席にしています。しかも耳栓して聴いています。こうしないと、聴力の衰えが悪化してしまうのです。そんな状態なので、全聾になってしまい、苦しみながらも曲を産み出す佐村河内さんに気持ちをすっかりシンクロさせてしまっていました。
この佐村河内さんの壮絶な半生は著書「交響曲第1番」に書かれています。(すぐに購入して熟読しました。)
小さい頃から天才として音楽を極め、高校生の頃から激しい頭痛や耳鳴り等、様々な体調の不調を抱え、突発性難聴から最終的に全聾になってしまい、聴こえなくなった後でこの交響曲を作曲されたそうです。
まさに命を削って作った作品です。
CDの音と、生の演奏がこれほどまでに違う曲も初めてでした。
CDとは全く違います。
怖いんです。聴いていて。
正体のわからない恐怖を感じて、細胞のすべてが破壊されてしまう感覚を覚えました。
それほど、この音楽に何か、重いパワーが秘められているような気がしました。
ちょうど「もう耐えられないかも」と思ったあたりで綺麗な旋律に変わり、急激に救われました。苦しみの後の天国です。ラストの数分は、もうこの世のものとは思えないほど美しい旋律に聴こえました。
今まで、感動的な演奏を聴くと鳥肌が立ったり、呆然としたり、涙が出たり、色々な感動の
種類を経験しましたが、今回は全く違うものでした。
怖くて苦しい。音楽に壊されると思ったのは初めての経験でした。
終わった後に、この交響曲のタイトルはHIROSHIMAだった、と思い出しました。
戦争の悲劇を表している曲です。
だから、こんなに怖くて細胞が壊れるほど苦しさを感じたのだと納得できたと共に、この曲の凄さを実感しました。
佐村河内さんは、「全聾の作曲家」「現代の天才作曲家」「ベートーベンの再来」など、メディアで騒がれてもいましたし、この曲のCDは大々的に宣伝もされていました。ご自身がゲーム音楽で有名になられたこともあり、観客は若い人が多いのかと思い込んでいましたが、年配の方が多かったです。お年寄りも。
広島の曲だからなのでしょうね。
ご年配の皆様も立ち上がって歓声と大きな拍手を、演奏後に舞台に上がられた作曲家である佐村河内さんに送られていました。物凄く長時間鳴りやまない拍手でした。
感動と言うよりも、なぜかわからず涙がぼろぼろ出ました。
私は特にこの佐村河内さんに、自分自身の耳の事をシンクロさせてしまいます。タイムリーに彼の事を知ったこともありまして。
昨日拍手をしていた多くの方も、自分自信の苦労や辛さを、佐村河内さんの壮絶な半生と、この素晴らしい曲の中にシンクロさせているのではないだろうか、と感じました。この曲を聴いたことで、自分の苦労が浄化された様な気がしたのではないかな、と。私はそう感じたので。
前の日記にも書きましたが、佐村河内さんの言葉
「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」
この曲はこの言葉そのものなんだと思いました。
そして、解説には「苦しむ者への救い=光は、苦しみ=闇からこそ産まれる」と書いてありました。
佐村河内さんは、作曲した曲を自ら聴くことが出来ません。作曲する行為は彼にとっては他者の為の行為であり、彼の曲は闇から生まれた曲=他者にとっての救い、光になるものだということが書いてありました。
救世主という事だと思いました。ある意味、苦しみの多い人ほど、他者を救う役割を負っているものなのかもしれません。
この曲こそ、日本の曲として世界に広めて欲しい。
なんか、あまりにも凄かったので意味のわからない文章になってしまいましたが、8月にこの曲は再演されます。終戦記念日の頃に、もう一度聴きたい。
最後に、指揮者の大友さんはかっこよかった!